皆で願う
家を建てる時、一昔前までは、村のみんな総出でその家の繁栄を願って建てた。
職人さんの数も多く、工期も長いので、女性たちは賄い、子ども達は毎日親父さんたちの手仕事を見て学び、その活気は祭りのようであったに違いない。
そしてそれなら、そこに携わっている間、ひとつの事柄に一丸となって働いている者同士、人の交わりも深いものになっただろう。
仕事をこなすのと、誰かというよりみんなの為に体を動かすのとでは、やり甲斐や生き甲斐は雲泥の差だと思う。
今のように、工場で出来上がったものを組み立てるだけであっさり出来上がる家を建てるのとは全く内容が違う。
周りにいる高齢の方達を見ていると、そうやって歩んできただろう人生を垣間見て、頭が上がらない。
口に出る言葉は、周りへの感謝の言葉ばかりです。
どうしてこんなにも、自分以外でいれるんだろう。
つい自分の将来を想像して恥ずかしくてたまらなくなる。私たちは、子どもたちに何かを示すことができるだろうか。
家を造るということを、以前は皆でやっていた。家は、家族の住まいを作る。毎日の住まい方は、一人一人を作って行くのではないか。
地域の皆で未来を作っていたんだな。
私たちは、住まいについて、もう少し考える必要があるように思える。