なまえ その3
以前書いた名前に纏わる記事の、書きたかった続きの話がありまして。だいぶん時間が経っちゃったけど。笑
以前お話したように、私の名前は「京子」と書いて「けいこ」と読みます。
変わっているのは、これだけではなかったりするのです…(。-_-。)
…私の父の妹(叔母)は、「けいこ」といいます。
勿論というべきか、幸いというべきか、漢字は違いますが。
この叔母は、私が2才の頃にお嫁に行きました。
うちは本家で、叔母は父の妹なのです。
この家には「やましろけいこ」が2人いたわけです(^_^;)
世の中に、同姓同名がいたって土地も違えば環境も違うものでしょう?
普通そうでしょう?
決して、ぃゃ多分、ウケ狙いじゃなく、真面目に「やましろけいこ」が2人、同じ屋根の下で暮らしていました。
「けいこさーん」と呼ばれると2人で振り向き、「どっちのけいこさん?」と見合わせる。私は「けいこ姉ちゃん」と呼び「けいこちゃん」と呼ばれるのです。
父が何のお構いもなく付けた名前のお陰で、ややこしい!笑
父のぶっ飛びは続き、さらに周囲も混乱に巻き込んだ(かもしれない)。
この叔母の息子「こうたろう」の後に産まれた私の弟の名は「こうた」だった。
その後、従姉妹間ではまた「けい」が出てくるし、「けいと」もおるし、「そうたろう」がいるのに「そうた」が産まれ、「ゆうな」はいるのに「ゆうな」が増える有り様。
近所の「ふみお」さんとこの息子さんとうちの「ふみお(父)」さんのもう一人の息子は同じ「たけし」だし。
どうなってるんだ…
さて、稀な同名の2人です。
集まれば、同じ呼び名で呼ばれて同時に振り向き、「どっちね」と笑い合うのは未だのことですが、
不思議だなぁと思うことは、私たちの中で同じ名前だと分かっているけど、同じ名前だとは思ってない感覚があるということ。
なんだろう。名前って、本当に”その人”なんだなぁと思う。
この宇宙で、私が私であるという自覚を持たせてくれる「名前」。
変わっているからこそ、実感を得て、愛すことができる「私の名前」。
妹と同じであろうが、誰がどう思おうが、容赦なく付けた父に感謝。